カテゴリ:旅っていいんやよね~( 18 )

おきなわ~♪ Part2

 居酒屋のカウンターに座り絵葉書を書くことに。島らっきょうを肴にオリオンビールを飲む。隣では大学生が親のすねをかじりすぎだ!とどこかの大学関係者が言っていた。すいませんねぇ親のすねかじっててと思いつつ絵葉書を書いた。アルコールを取りながら書いていたせいかいつもより案外すんなりとかけた。もしかしたら、ブログを書くようになったから少しは文書くのがうまくなったのかな。
 絵葉書をそうそうに書き上げ居酒屋を出た。そのまま帰ってもよかったが、せっかくのこんなにも気持ちのいい夜。少し散歩しようと思いホテルの周りを散策することにした。ホテルの窓から見て分かっていたことだが、国際通りの周りにも案外古い民家が残っている。それらを探してぶらぶら歩いていた。国際通りから1歩脇道を入るとそこにはもう民家が立ち並んでいる。表通りの賑やかさと裏腹に脇道を入ると一気にあたりは静寂に包まれていた。聞こえるのは鳥の鳴き声、窓を開けているからだろう微かなテレビの音、犬の鳴き声。日本の夜の住宅街の典型を見ているようであった。行く前、沖縄は異国情緒あふれる町だと思い込んでいた。琉球瓦の民家でもそうだし、台風から家を守るためのコンクリートの家も日本っぽくないイメージを持っていた。しかし、実際見てみるとこれが逆に日本っぽい。なぜだろうか。
 “日本っぽい”と一番強く感じたのは首里城付近にある石畳の道を歩いている時だった。景観保護がされているのだろうが、石畳の道や古い民家が見事に維持されている。石畳の道を歩いていると、周りの景色は自分の中にある“昔の日本”のイメージそのものだった。自分自身、昔の日本を経験しているわけではないので正確に言えば自分が想像していた“日本の原風景”と一致したというべきか。いずれにせよ沖縄は自分が今まで行った土地の中で一番と言っていいほど日本っぽい感じを醸し出していた。
 大学の教授やあの、小林よし○りが「台湾論」(教養として読んだだけですよ。あしからず)で言っていることだが台湾では日本の文化、風土が日本以上残っている場所だという。やはり、沖縄や台湾は離島なだけあって新しい文化が流入されにくいのだろうか。沖縄方言のウチナーグチにも昔の日本語が多く残っているとされているし。とにかく、間違いなく北海道より沖縄のほうが日本っぽい。1972年まで沖縄は日本じゃなかったなんて思えないぐらいの日本だった。ちなみに沖縄返還の1972年は語呂合わせで「びっくり、なつかし沖縄返還」。びっくり、なつかしで1972。
 しばらく散歩していると小腹が空いてきた。そこで近くのラーメン屋に入ることに。嵐が指摘していたことだが、沖縄にはラーメン屋が少ない。確かにそば屋(沖縄そば)は多いがラーメン屋は少ない。毎食普段食べない沖縄料理を食べていたので普通の塩ラーメンがことさらおいしく感じた。でも若干しょっぱかったけど。
 部屋に帰ると嵐は起きていた。もう今日は疲れた。部屋においてあった泡盛をコップ1杯飲むと、体中の血管という血管が広がっていく感じがした。さすが30度もある泡盛である。そのままコンタクトも外さずベットに横になる。もうなにも出来ない。何も考えられない。明日どこに行く?そんなこと考えられない。気が付いたら自分は寝ていた。(寝ていたら気付けないだろ!っていう突っ込みはなしでw)
f0028773_11444190.jpg
 ↑レンタカーと嵐さん
f0028773_1145188.jpg
 ↑ハイビスカス。守礼門付近にて。2月なのに陽気は完全に初夏。
f0028773_11452283.jpg
 ↑石畳の道。左手前に見える「石敢當」は沖縄に伝わる一種の魔よけみたいなもの。沖縄旅行で一番印象深い場所だった。
f0028773_11453787.jpg
 ↑シーサーさん。案外間抜け顔のシーサーが多い。
[PR]
by iigaiya | 2006-02-25 11:45 | 旅っていいんやよね~

おきなわ~♪ Part1

 前回紹介した「ミートグラタン」改め「ミートドリア」を食べ終わり、出納帳もつけ終わった。そろそろ、ブログのエントリー書きにはいろう。この4日間の疲れが溜っいて若干ボーっとしているけど、出来る限り頑張って書こう。出納帳つけた結果、今回の旅行では4日間で計6万8979円も使っていた。そのうち前払いの飛行機と宿泊費で3万9800円だったので、沖縄行って実際使ったお金は29179円也。やはり食費がかかる。あとはお土産や観光地の入場料が大きい。でも、まあ、妥当な出費だと思う。そんなもん。
 さて、前置きはこれぐらいにして本題に入りますか。今回も焼尻の紀行文と同じように時間系列順で書いてもいいがそれだと二番煎じになる。時間順に書くのが一番書きやすくていいのかもしれないが今回はあえて違う書き方をしてみたい。1日目と4日目は大半を移動に費やし特筆することがないので割愛させていただくことにして、2日目と3日目の夜の2回を舞台にしてその日のことを思い出すような感じで書いてみたい。だから時間はバラバラ。でも、時間系列で書くより考えがある程度まとまって書くことが出来るような気がする。あとは沖縄で見た観光地じゃない普通の町並み、沖縄の人を見て感じたことを書くにはこっちのほうが好都合な気もする。編年体だけじゃなくて紀伝体的に。みたいなw
 実際、まだ書いてないから上記のようにうまく書けるかは分からない。ていうか、うまく書ける自身はない。言うだけ言っておいて全然ちがう感じになるかもしれない。でも、まあ、それはそれでいいかなと。なんせ、いいがいやですから。
 前置きはこれぐらいにして・・・と言いつつまだ本題に入ってないwそろそろ本当に本題に入ります。時は2月22日夜8時ごろ。宿泊先のホテルから始めていきま~す。

 ホテルに着いたときはもう自分も嵐(一緒に沖縄に行った友達)もぐったりだった。前日寝るのが遅かったにも関わらずこの日は朝の8時前に起き、沖縄の南部を那覇市を基点に一周するような感じで見て回った。移動手段は車。自分は免許を持っていないから運転は全部嵐にまかせっきりだった。ただ助手席に載って口だけ動かしていただけの俺でもホテルに帰ってきてぐったりなのだから、集中して運転していた嵐はもっと疲れていただろう。ベットでヨコになり携帯をいじっているように見えた嵐はよく見てみると携帯を持ちながら寝ていた。それだけ疲れていたのだろう。9時前で寝るには早かったが、自分も寝ようかなと考えながらボストンバックの中を整理していた。すると、中から昼間に買った絵葉書が出てきた。祖母に書いて出そうと思い首里城で買っていたのだ。父方の祖母には日ごろから俺のことを気にかけてくれ、事あるごとに手紙をよこしてくれるし、勉強代、旅行代と言ってお金をくれることもしばしばある。お金をくれるからという理由ではないが、何かこちらとしてもその恩を報いたいと常々思っている。だから、いつも旅行する時は旅行先から祖母に手紙を書いている。今回もそれを思って守礼門の絵写真を買っておいたのだ。
 書くなら早いうちがいい。そう思い立ち絵葉書を書こうと思ったが、がなんとなく部屋で書くのは気恥ずかしい。疲れていたがどこか外で書こうかと思い絵葉書をトートバックに入れ身の回りを一通り整理した後、財布が入っているウェストポーチを持ってそっと部屋を出た。日中の気温が26℃まで上がったこの日は夜も暖かく長袖のシャツを羽織ってちょうどいいぐらいだった。沖縄一の繁華街、国際通りの中心部へ向う途中どこで絵葉書書こうかな~と思案していた。しかし、その道中、自分は大変なミスをしていることに気付いた。財布と携帯を持って出てきたが、肝心の絵葉書を入れたトートバックはホテルに置いてきたのだ。ほんと、自分のダラさには辟易する。
 絵葉書を書くのは案外大変で時間がかかることは前々から知っていたのでこの機会を失うと次はいつかける機会があるか分からない。そう思った俺は絵葉書を買うことから始めることにした。国際通りにあるお土産物屋で絵葉書を探すが案外ない。あったとしても、さんご礁の海やイルカなどの風景画で自分が求めていた首里城などの沖縄の有名スポットを描いたものがない。国際どおりには無数に土産物屋があるがどこも置いているものは大差がない。どれだけ探しても全然見つけられないので自分は半分あきらめながら国際通りを歩いていた。国際通りは沖縄の戦後の経済的発展を担った地域である。戦後この通りにビルが建っていく様子を見て、人々は目覚しい発展に感嘆し、いつしかこの通りは「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになった。しかし、今は一大観光地となり地元住民のための店は少なくお土産屋が軒を連ねる通りとなってしまっている。
 国際通りには欲しい絵葉書はないかな・・・とあきらめていた時、偶然にも路上で絵葉書を売っている人を見つけた。地べたに広げられたものを見ると、そこには首里城や守礼門の絵葉書もある。普通の店で買うよりこうゆうところに売っている物の方が温かい感じがする。売り手の兄さんと少し会話をしながら色々迷った挙句、結局沖縄の古い民家が書かれてある絵葉書にした。平屋建てで琉球瓦が葺かれてある民家。売り手のお兄さん曰くこの近くにある古い民家をモデルにして描いたとのこと。
 首里城、守礼門の絵葉書がいいかなって思っていたがそれは一番受けがいいからで、実際行った感じでは首里城や守礼門がそこまでいいとは思わなかった。首里城、守礼門どちらも第二次世界大戦にて焼失しており、今あるのは戦後になって再建されたものである。再建されたものはやはりどれだけ精巧に作られていようがそれに威厳を感じないし感銘も受けない。それを見て歴史に思いを馳せることが自分にはできない。それは復元であると知っているからであるからかもしれないし、琉球の歴史については門外漢であることも関係するだろう。しかし、今の自分にとって首里城や守礼門はただの沖縄のシンボルであり、それ以上のものとは感じなかった・・・。


やばい、この調子だとまた長くなる・・・。今日は疲れたのでこれぐらいにしときます。3~4人の読者の方々、気長にいいがいやの話にお付き合いくださいまし。

f0028773_2391238.jpg
 ↑有名な守礼門。平日にも関わらず、修学旅行生や観光客でごった返してた。
f0028773_2392568.jpg
 ↑首里城。戦前までは守礼門と共に国宝に指定されていた。しかし、戦争で消滅。戦前と変わらないのは土台の石垣だけてある。
[PR]
by iigaiya | 2006-02-24 23:15 | 旅っていいんやよね~

ぶらり1人旅~焼尻、天売編おまけ~

f0028773_115415.jpg
↑フェリー乗り場にあるオロロン鳥の大きな像。オロロン鳥は羽幌町のカントリーサインにも使われているし、石狩から稚内までの日本海側の道路のことはオロロンロードとよばれている。またJAの名前にまでも使われている。地元じゃ大人気。でも、いまでは日本に10羽ぐらいしかいないらしい。 
f0028773_1154687.jpg
↑焼尻小中学校の前にあった島唯一の信号。でも、押しボタン式だからずっと青。天売でも同様に小中学校の前に押しボタン式の信号があった。やっぱり、教育的見地から置いているのだろう。交通ルールを学ばなければいけないしね。
f0028773_1163475.jpg
↑天売にあるウトウという鳥の巣。このあたり一面、写真のような穴が開いており、5月から7月にかけての夕方、ウトウが一斉に帰ってくる。その、光景は壮観らしい。自分の行った時期は若干まだ早くてその光景は見られなかった。
[PR]
by iigaiya | 2006-01-23 10:47 | 旅っていいんやよね~

ぶらり1人旅~焼尻、天売編5~

 その日の宿は海の宇宙館からは歩いて5分ぐらいだった。民宿「栄丸」は見た感じ普通の家。玄関から入って、「今日泊る予約した者なんですが・・・。」と言うと、女将さんが「え、今日の予約ですか?今日は予約の方はおられませんが」との返答。しかし、部屋は用意できるのでどうぞと言ってくれたのでそのまま部屋へと入った。
 玄関でのやり取りの際、女将さんは夫が電話を取ってメモし忘れたのかも知れないと言っていた。しかし、その可能性は絶対なかった。予約の電話をしたときは間違いなく女の人の声だったし、女の人なら電話に出るのは女将さん以外考えられない。何かがおかしいと思いながらも、荷物を置いて島を一周することに。天売島は起伏が激しいので自転車は借りずに徒歩で回ることに。天売島はとにかく海鳥が多い。四方八方、鳥が飛び回っている。フェリー乗り場から島の北側中央にある観音岬へ向う。この日もあまり天気がよくなく霧雨の降る肌寒い日だった。観音岬は切り立った崖にあり、崖一面がウミネコの営巣地になっている。しかも、その数が半端じゃない。崖一面、ウミネコだらけだった。
 観音崎から島一番の観光名所(?)の赤岩へ向うことに。その道中、携帯(当然使えます)に知らない番号から電話が入る。出てみると、なんと、「萬谷旅館ですが本日は天売島についているでしょうか」との内容。えぇ!?萬谷旅館は今日泊る栄丸とどっちがいいか悩んだ末に辞めた旅館。何で、そんなところから電話がかかってくるんだと思いつつも話を聞くと、自分が今日の予約を萬谷旅館に入れていたとのこと。
 つまり、自分は栄丸に宿泊の予約を入れたつもりが間違えて萬谷旅館の方に電話して予約していたのだ。何たる失態。ダラ丸出し。事情を説明し、栄丸さんにもう宿を取ってしまったと言うと「もう二度とこのようなことがないようにしてください。こっちも料理作って待っていたんですから」と、ごもっともな意見を受けた。 
それからはもう赤石どころじゃなく、一刻も早く詫びを入れようと思い猛ダッシュで萬谷旅館に向った。しかし、いくら小さい島と入ってもその時自分がいたのは集落があるのとは間逆の位置。それでも出来る限り走り、赤岩へ続くわき道とスルーし、集落へと続く下り坂を一気に駆け下りる。こんなに一生懸命に走ったのは中学の部活以来と思うぐらいに走った。それでも萬谷旅館までは40分近くかかってしまったような気がする。旅館に入り、萬谷旅館の女将さんに今日、予約していたものですと名乗りホントにすいませんでしたと誠心誠意あやまった。予約をして無断でキャンセルしてのだからその日の分のお金は払うべきだと思ったのでお金を渡そうとすると、女将さんは「今回の分はいいからもう2度とこんなことがないように。」と言ってくれた。しかし、それでは自分が納得できなかった。約束を守らないのは大人として失格だ。全額払うと強く言うと、それなら料理分の3000円だけでと言ったがそれでもその時の自分は納得が出来ず全額払うと譲らなかった。しかし、女将さんもそれ以上貰うわけにはいかないと動かなかった。結局、最後には「自分の責任の勉強代として払わせて下さい。」と言い5000円受け取ってもらった。本当の宿泊料は7000円だったのだがこれ以上の不要な言い合いは女将さんの機嫌をより損ねるだけと思ったのでそこで引き下がった。金で物事を解決するのはよくないと思うけど、このときはそれ以外方法が見つからなかった。これでよかったか今でも分からないけど、今の自分でも同じ立場におかれたら同じ行動をすると思う。最後に女将さんは「今度、天売に来る時にはうちに泊ってね」と言ってくれた。島の人はホントいいひとばかりだ。
 民宿栄丸に戻り事の顛末を栄丸の女将さんに話し、こちらにも詫びを入れる。こっちの女将さんは笑って「気にしないでゆっくりして。」と言ってくれたが、その日はもう何しても無味無感想だった。夕食は生きているムラサキウニを生と焼いたのもを頂いたが、全く味がしなかった。その時は後悔の念でいっぱいだった。
 次の日、とりあえず赤岩を見に行く。100m近く切り立ったが崖の下を無数のウミネコやケイマフリが飛んでいた。その日もボーとしており、感情の起伏が訪れず、ずっと眺めていた。そこでもずっと昨日のことばかり考えていた。
 フェリーの時間の2時間ぐらい前にフェリー乗り場に戻り、近くにあったお土産物屋へ。そこでは一人オバアさんが店番をしており、自分が来るなり、こっちに来てコーヒー飲みなと誘ってくれ、旅行に出て3度目のコーヒーを頂くことに。
 フェリーがくるまで、このオバアさんとずっとしゃべっていた。親戚の話や娘が札幌にいるっていう話、昔は連絡線が苫前から出ていた話や天売島の今の様子などなど。しゃべっていると時間はすぐに経ちフェリーの時間に。最後にペンギンに似たオロロン鳥のちゃっちい人形(のち管理人に寄贈。まだ車に置いてくれてるかな)とマリモ羊羹モドキのお菓子を買った。別れ際に、店番しながら袋づめしていた乾燥岩海苔までくれた。そして、焼尻でも、天売でも、島の人がみんな言ってくれる「また、来てね」の一言。
 帰りのフェリーとバスの中では爆睡していた。余りにもいろいろありすぎる日々だった。目が覚めたときバスはすでに札幌市内に戻ってきており、ふとなぜ今ここにいるのか分からなくなる。さっきまでは人工物のほとんどない世界にいたのにいつの間にかネオンきらめく都市の世界へと戻っていた・・・(と小説風にまとめてみる)
           ~おわり~

     ご迷惑をかけた宿
       栄丸
     萬谷旅館

説明メンドクサイのでここでも見て
     オロロン鳥
f0028773_22125238.jpg
 ↑天売島の北側には断崖が連なる。
f0028773_22135323.jpg
 ↑赤岩。写ってないが無数のウミネコが飛んでいた。
[PR]
by iigaiya | 2006-01-22 22:10 | 旅っていいんやよね~

ぶらり1人旅~焼尻、天売編4~

 焼尻天売は双子島であるが地形にはかなりの違いがある。焼尻島は全体的に平坦であるのに対して、天売島は起伏が激しく西海岸には海に突き出た断崖が続いている。しかし、その断崖絶壁の隙間は海鳥たちの格好の繁殖地となっており、天売島は日本有数の海鳥繁殖地として(一部の人にとっては)有名な島なのである。ウミネコやケイマフリ、ウトウなど天売にやってきて営巣する海鳥は多い。
 天売島に着き海の宇宙館というところに行く。ここでは天売にやってくる海鳥のことを知ることができる。そして中には写真家、寺沢孝毅が天売で撮った写真パネルが多く飾られている。普段、写真家の写真を見る機会などなかったが、見てみるとその迫力に圧倒させられる。自然が見せる一瞬の出来事をカメラで捕らえており、それらは印象的であり、鮮やかであった。実際にその撮影現場に居たわけではないのに、じっくり見ているとあたかも自分がその現場を目撃したかのようにすら思えてくる。プロの写真家はほんとにすごい。
 展示は普通に見れば5分ぐらいで終わるものなのにも関わらず、20分近くゆっくり写真を見ていると、受付のお姉さんがコーヒーを淹れて持ってきてくれた。実際なら300円払わなければならないのだが、好意で淹れてきてくれたのである。ほんとに、島の人は人をもてなすのが好きなんだなと感じる。コーヒーを飲みながら雑誌「モ~リ~」という雑誌を読んでみる。たまたまそこには北大キャンパスに飛来する鳥の種類と数の移り変わりの記事があったのだ。
 昔は都会では普通見られない鳥が多く飛来していたらしい。今は人口川である構内を流れる川、サクシュコトニ川がまだ湧水で自然に近かったころ、構内にはカワセミまでも飛来してきていたらしい。以前と今を比べると飛来する鳥の種類はかなり変化したものの、飛来する鳥の個体数は増加傾向にあるとも書いてあった。減少していくなら分からないでないが・・・と思いつつ読み進めていくと、その理由はこうであった。以前は、北大キャンパス以外にも緑はたくさん残っており、鳥たちはそこに飛来していた。しかし、都市が成長するにつれ木々が減り、今では北大キャンバスと植物園ほどしかまとまった緑がない状態である。そのため鳥たちは必然的に北大キャンパスに多く集まるようになってきているのである。キャンパス構内を歩いてもカラスが幅を利かせているように思えるが、その他の多くの鳥たちも飛来していているのである。
 この日はとりあえず天売島を一周しようと思っていたので、しばらくして海の宇宙館を出て、その日の宿に向った。
      ~つづく~
[PR]
by iigaiya | 2006-01-20 15:45 | 旅っていいんやよね~

ぶらり1人旅~焼尻、天売編3~

 焼尻で泊った朝、布団の中で嫌な音と共に目が覚めた。窓がミシミシ音を立てて、何かが屋根に断続的に落ちている音がする。自分はその正体を分かっていつつも違うこと祈ってずっと布団の中にいた。8時30分ごろに宿のオバアから内線電話で朝食の用意が出来たとの電話が入る。昨日夕食後にそれぐらいの時間に朝食を食べると言っていたのだ。しょうがないので布団から出て、外を見てみる。日が昇っているにも関わらずあたりは暗い。そしてやはり、雨が降っていた。
 朝食を食べて部屋に戻るが一向に雨はやむ気配がない。むしろ強くなっているようにすら感じる。しかし、ずっと宿にいるわけにはいかない。晴れていたならばもう一度、島を一周し、前述した郷土館に行き、2時ごろのフェリーで天売島に行くつもりだった。しかし、今日は雨。郷土館だけで数時間も時間をつぶせそうにはない。そうは言ってもほかにやることがないのでとりあえず、郷土館に行くことにした。外に出ると、5月にも関わらず、風が冷たい。リュックの奥深くにしまっていたジャンパーを着てちょうどいいぐらいの気温だった。宿から郷土館までは自転車を押して数分で着ついた。
 郷土館に着き、戸を開けると勉強机のような受付のテーブルをはさんでおばさんが二人談笑していた。おばさんたちは自分に驚いたようであったが歓迎してくれ入館の受付をしてくれた。典型的にどこから来たの?と聞かれたので住まいは札幌ですけど出身は石川です。と答え、小田民宿さん(自分が泊った宿)で久谷の焼き物を見たと言うとおばさんたちはまたびっくりしていた。そして、館内にある当時のトイレは特注した九谷焼でできているから見てきたらいいと自慢げに教えてくれた。
 館内の1階は当時使っていた古民具中心の展示だった。そして確かにトイレは青の顔料で彩色された九谷の陶器で作られていた。2階には当時の写真や資料がおいてあった。今は寂れた島だが、昔はそれなりに栄えたらしいことが資料から見て取れた。 
 江戸時代から明治初期にかけてはアイヌ民族が暮らしていたが、ニシン漁により和人が増加。最盛期には1000人以上もの和人が暮らしていたらしい。当時の写真を見ると、その繁栄ぶりがよく分かる
 写真の中には初めて教育勅語が焼尻島に持ってこられた写真もあった。厳かな布に包まれ船から陸に移される場面を写したものである。岸には多くの人が並んでその様子を見ていた。帝国主義だった昭和初期。こんな末端の島にまで天皇の絶対的な権威が浸透していたのかと思うとその思想の徹底ぶりにゾッとした。(と、こうゆうことを書いて教育史を勉強している者みたいなフリをしてみる)
 一通り展示を見終え、入り口に戻ってくるとおばさんたちは寒いからコーヒーでも飲んだらと言ってくれたのでその言葉に甘えて頂く事に。そして、ストーブまでこっちに向けてくれた。
 すぐにお暇するつもりだったが、おばさんたちとの話は、話が話を呼び、なんとフェリーが来るまでずっとそこでおばさんたちと話しをすることになった!!自分はやることもなく、おばさんもどうせ今日はもう誰も来ないからと言っていたので、ならまあいいかって感じでずっとしゃべっていた。もちろん、自分が出て行くまで1人も郷土館を見に来る人はいなかった。唯一来たのはさっきまで泊っていた宿屋のオバア。自分がコンタクトの洗浄液を宿に忘れていったらしくわざわざ届けに来てくれた。ほんと、申し訳ない。そしてどうもありがとうございます。
 おばさんたちの話は離島に住んでいる人にしか知らないものばかりで大変興味深かった。朝刊が朝のフェリーで運ばれるから、どれだけ早くても9時過ぎにならないと配達されないことや、時化でフェリーが欠航になり3日ぐらい来ないことはよくあることなどなど。最長は7日ぐらい来なかったらしい。軽々しく言っていたけど、「つまり孤立状態になっているってことだろ?」と考えるとすごかった。すごくたくましい。
 おばさんたちの話はホント聴き応えがあり、これを聞くだけでも来た甲斐があったと思えるものだった。おばさんたちの強烈な北海道弁からは島を愛する気持ちがこっちにガンガン伝わってきたのだ。不便で、過疎だけど都会にはない人と人の温かみはそれらのマイナスを補って余りあるぐらいある。だから、やっぱり、都会よりこの島がいいと。
 日本人はアイデンティティを持たない、意識しないといわれる。しかし、このおばさんたちからは間違えなく、自分は島出身の人間だっていう確固たるアイデンティティがあるようにすら感じた。
 2時になるとすでに雨は止んでおり北海道から来るフェリーの姿が見えはじめて来た。自分は長時間話をしてくれた上に、コーヒーとお茶、合わせて7杯近くと、カップラーメン(近くの商店で話の途中で買ってきた)のお湯をくれたことに礼を言い郷土館を出た。自転車を返し、フェリーに乗り込む。焼尻から天売島には15分程度で着いた。
       ~まだまだつづく~
f0028773_22482146.jpg
 ↑焼尻郷土館。来た初日に撮ったので晴れてます。
f0028773_22525237.jpg
 ↑郷土館でみたウミガラスの剥製。通称オロロン鳥。泣き声が「オロロ~ン」と鳴くところから名がついたらしい。詳しくは次回書きます。
[PR]
by iigaiya | 2006-01-19 22:42 | 旅っていいんやよね~

ぶらり1人旅~焼尻、天売編2~

 焼尻と天売はどちらも周囲およそ12kmのちいさな島。焼尻島では400人弱、天売島では500人弱の人が住んでおり、そのほとんどが漁業をして生計を立てている。
 初めてのフェリーに乗り、揺れに耐えながら焼尻島に到着。着いたのが2時ぐらいだった。まだ日が高かったので、フェリー乗り場近くでボロいママチャリを借り、宿で荷物を預け島を一周することにした。
 焼尻島で有名なのはオンコと呼ばれるイチイの木。年中強い風が吹くので高く伸びず、地面を這うように植生したり、真っ直ぐ伸びずグネグネ曲がった奇木が多くある。そうゆう木々が生えている中を激チャしていた。奇木がある中を抜けると一気に視界が広がる。島の西側にはめん羊牧場という牧場が広がっている。自分が行った時は羊はおらず、一面の牧草地が広がっていた。何もないところを激チャするのはとても爽快だった。そして、西端に到着し、3方が海に囲まれているのをみると、嫌でも離島にいるっていう感じが込み上げてきて無駄にドキドキしてた。今日はもうフェリーがないから北海道には戻れないのだ。そう考えるだけで楽しかった。
 島を1周して宿に戻る。夕食は刺身だった。安い民宿に泊ってたので別段豪勢な料理なわけではなかったが、人のよい民宿のオバアと同じようにあたたかみのある料理でおいしく感じた。そして、テレビを見ながらお茶をすすっている時、持っている湯のみの色づかいを見て気付いてしまった。この湯のみと急須は九谷焼だと!そぉっと湯のみの裏の印を見てみる。やはり、九谷と印が押されていた。こんなところにまで九谷焼が来ているとは!!民宿のオバアにそのことを伝えると、「もらい物だよ」と照れくさそうに言っていった。しかし、自分は焼尻島と石川県はつながりがあることを知っていた。
 明治から大正にかけて、北海道日本海側はニシン漁がさかんだった。ニシン漁の網本は大金持ちになり北海道各地で豪華な屋敷を構えていた。焼尻島にも多分にもれずニシン漁で栄えた家があり、そこの網本は石川県の加賀出身だったのだ。もし、さっきの湯のみセットが貰い物だとしても間違えなく送る方も石川と関係があることを知って送ったのだろう。
 今、焼尻にあるその豪華な屋敷は郷土館になっている。
     ~つづく~
f0028773_1055272.jpg
 ↑「般若の木」これはイチョウの木らしい。
f0028773_11419100.jpg
 ↑めん羊牧場の途中、ママチャリと一枚。
f0028773_11485568.jpg
 ↑焼尻島から見た天売島
[PR]
by iigaiya | 2006-01-18 10:37 | 旅っていいんやよね~

ぶらり一人旅~焼尻、天売島編1~

 あれは2005年の春だった。その当時「離島を旅する」という本を読んでいた。内容は題名どおり、日本全国の離島を旅してその様子を書いたもの。特になんの気もなく図書館で借りて来たんだが、これがおもしろく借りたその日のうちに全部読んでしまった。離島でしか見られない自然や島それぞれの独自性が綴られていてとてもワクワクするもの、というより、すぐにでもどこか離島に行きたいと思わせるものだった。
 離島に行こうと思った理由はもう一つある。この本を読む前、2004年の2月。自分は稚内の抜海(ばっかい)というところで、宿屋の奥さんに聞いたことがあった。「北海道でどこがお勧めですか」と。奥さんは迷わず「島に行ったほうがいいよ、行ったら考え方変わるから」その言葉が気になっていたこともある。
 実際、計画を立てる段階でどこに行こうか(どこになら行けそうか)ってのを考えた。はじめは奥尻島を考えていた。しかしフェリーの関係上、札幌を出発してその日のうちに奥尻島にまで辿りつけないことが判明しあえなく断念。第二案として焼尻(やぎしり)、天売島に行くことにした。ここになら札幌出発して、その日のうちに焼尻島に着くことか可能だった。この両島については前述した本の中で紹介されているのを読んで知っただけで、何があるのか全く知らなかった。
 行く場所が決まってからは情報集め。いくらお金がかかるのか、島に何があるのか、どこに泊るかなどなど・・・。いつものことだがこうゆうことを考えるだけで楽しい。2日目は天売島に行きそこで1泊することにしていたんだが、泊るところにすごく迷った。1つは「離島を旅する」の筆者が泊っていた萬谷(よろずや)旅館と言う宿。もう一つは漁師が経営している栄丸という宿。後者の宿にはHPがあってすごくよさそうだった。悩んだ挙句、栄丸に宿を決めた。 
 すべての準備が完了し、2005年5月6日早朝、札幌発羽幌行きのバスに飛び乗り、一路焼尻島へと向った・・・。
 羽幌には11時過ぎに着きそこからフェリーで焼尻へ。片道1時間弱の船旅だ。自分自身、離島に行くのは能登島(←離島か疑問)にしかいったことがなかったし、フェリーに乗ったことがなかったので新鮮な感じだった。乗客はカメラを肩からぶら下げた人や、ほとんど手持ちのない人など10人前後だった。しかし、船に載せる生活物資の量はかなりの多さだった。それもそのはず、この時期、焼尻、天売を結ぶフェリーは日に2往復しかないからだ。自分はそんな少こしペンキくさいフェリーに乗り、ただっぴろい絨毯の上に座り出発した。当日は申し分のない晴れだったにも関わらず、フェリーは揺れる、揺れる。座っているだけで気持ち悪くなってきたので絨毯の上に寝そべり、気持ち悪くならないように気を付けながら1時間弱の初の船旅を経験した。その当日、焼尻に泊った宿のおばあさん曰く、「今日は海はシケていたからいつもより揺れたんじゃないかな」と。でも昔使われていた連絡船と比べればかなり、揺れなくなったと言っていた。      
             ~つづく~
天売、焼尻島の位置
f0028773_20295588.jpg
北海道と天売焼尻を結ぶ、おろろん2号。
f0028773_2030524.jpg
揺れに耐えながら撮影。奥に見える島影が焼尻島。
[PR]
by iigaiya | 2006-01-17 20:05 | 旅っていいんやよね~