これからが勝負時!

 明日(性格には今日)ゼミの発表にも関わらず、定山渓温泉行ってた。日帰り温泉の中では安いホテルにいったんだけど、全体的にバブリーな雰囲気醸し出しまくってた。道路脇にある看板とか、天井の低いロビーとか、無駄に大きいタイル張りの湯船とか・・・。ああ、昔は最先端だったんだろうなって感じてた。ってか、近いね定山渓温泉。今度は、ガトーキングダムだってか。まあ、いいか。

ゼミの発表の資料作ったけど、我ながらつまらないものを作ってしまったって思う。ただ、時系列的に出来事を並べただけで、それらの考察が全然はいってない。ってか、コンパクトにまとめようと思うとどうしても入れれない。淡々と事実を述べる・・・。明日のゼミはくだらないものになりそうだ。



アイヌの同化と差別
                                 

1.はじめに
2.アイヌの生活実態 ~人口、就学状況~
3.旧土人保護法成立以前のアイヌ教育
4.聖公会によるアイヌ教育
5.アイヌの窮乏化
6.教育実態
7.「旧土人児童教育規定」の廃止
8.おわりに


1.はじめに
 アイヌの存在は中学校の教科書で知っていたが、名前だけ聞いたことがある程度でどのような民族なのか全然知らずにいた。漠然としたイメージでアイヌと和人は似たようなものだろうと考えていたし、もう現存しておらず観光の一環として保存されているに過ぎないとすら思っていた。中学生、高校生のころに「日本人は単一民族か?」と聞かれれば、「単一民族だ」と答えていただろう。
アイヌについて中学校、高校で教わることは歴史的な事柄に重点が置かれている。習うことは江戸時代の松前氏による交易やコシャマインの乱やシャクシャインの乱である。明治以降のこととしては旧土人保護法に代わり新たにアイヌ文化振興法が成立したということを知っている程度である。それらは言葉を知っているだけで内容は全く知らない。          
アイヌはもう消滅したと考えていた自分にとってはアイヌの人たちが社会的に低い立場に立たされ差別を受けてきたなど全然知らなかった。地元の学校で差別問題について学ぶ対象は被差別部落であり、在日韓国・朝鮮人であった。それは私の育った地域が本州であり、アイヌと直接関わりがない地域だったことも関係あるだろう。
北海道に来て初めてアイヌの人々が実際に生活していることを知った。どのような文化を持っているのか、多少なりとも博物館などに行く機会があり理解を深めることも出来た。そのアイヌはそれまでイメージしていたものとは全く違い非常に衝撃を受けた。アイヌは和人とは違った文化、風習、思想を持った先住民族である。そのように感じ、更に深くアイヌについて知りたいと思うようになった。
では、今アイヌはどこにいるのだろうか。おそらく、札幌にも多くのアイヌがあるのだろう。しかし、一見して判別できない。アイヌの人と会話をしたとしても、普通に日本語を話し日本人との違いはまったく分からない。高校生のとき抱いていた“日本人と一緒”という感覚がますます強くなるだけである。本来なら独自の言葉、文化を持っていたはずである。それなのに、なぜ今では日本人と同じに見えてしまうのか。そのような思いからアイヌ民族の“同化”の歴史を調べてみようと考えた。

2.アイヌの生活実態 ~人口、就学状況~
 まず、道が1999年に行った北海道ウタリ生活実態調査から、今のアイヌの人たちの生活状況を見ていく。
・人口
 北海道に住むアイヌ民族の人口は73の市町村で23.767人となっている。日高支庁と胆振支庁で全体の約3分の2を占めている。この調査におけるアイヌの人口は、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また 婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」について、各市町村が把握することのできた人口である。

・大学進学率
 高校進学率は平成11年の調査でほぼ平均と変わらない水準にまで達した のに対し、大学進学率においては未だアイヌの人たちは平均の半分以下に留まっており、依然として格差がある。


・差別実態
 最近(6、7年前から)において、何らかの差別を受けたことがあると答えた人が12.4%、自分に対してはないが、他の人が受けたのを知っていると答えた人が15.7%という決壊になっている。
差別を受けた場面としては、「学校で」が46.3%、次いで「結婚のことで」が25.4%などとなっている。差別を無くす場であるはずの学校でもっとも多くの差別を受ける場所となっている。
 それでは学校ではどのようにアイヌを扱っているのだろうか。高等学校教育指導資料「アイヌ民族に関する指導の手引き」によると、社会科としてアイヌを取り上げたのは47.8%に過ぎない。扱った内容も、原始、古代、中近代のものが多い。

3.旧土人保護法成立以前のアイヌ教育
 アイヌの教育が必要と叫ばれるようになったのは幕末からである。 それまで幕府・松前藩は「華夷思想」に基づき、アイヌの日本語・文化の修得を厳禁していた。しかし、ロシアが樺太、千島への進出する動きが活発化するなか、幕府は政策を転換し、アイヌ民族の日本人への同化政策を推し進めることとなった。具体的な施策としてはアイヌに日本語やかな文字を修得させること、耳環、入れ墨などのアイヌ文化の禁止、服装や髪型を“日本風”へと変えさせること、蝦夷三寺の設置などを行っている。しかし、アイヌの抵抗は強く、改俗したものは死に絶えるなどの「流言」も広まり徹底したものにはならなかった。
明治に入り1871年に開拓使も幕府と同様の布達を発している。 また、同時に、農耕を行ったものへの住宅の下付、使者が出た家を焼いて移転する慣習の禁止なども布達している。
 このころから、学校にてのアイヌ教育が開始されるようになる。開拓使は1872年に札幌・小樽・余市などのアイヌ青少年男女36名を東京の開拓使仮学校へ送り込み、読み書きや農業を学ばせようとした。北海道よりも東京の方が生活慣習の改変や日本語の修得をより強行に出来ると判断したからである。しかし、この政策はアイヌ民族の強い抵抗を受け、開拓使仮学校では当初100名程度のアイヌを送り込む予定であったがこの後の派遣はなかった。
 多くアイヌのための学校が作られ始めたのは1880年代である。これらの学校は札幌、函館、根室の各県が設置している。これらの学校においてもアイヌの就学は進まなかったが、教育がいかに「有益」であるかをアイヌに説いたり、就学に際しての授業料や学用品など金品の援助によりアイヌの就学を促そうとした。
 この時のアイヌ学校では和人が教員をつとめていた。しかし、アイヌ民族は開拓によりそれまでの生活が困難になりつつもアイヌ語とその文化の濃い暮らしをしていたので、教員はアイヌ語の分かるものが選ばれた。まだ、暮らしと教育政策の乖離が大きかった。当時の遊楽部で教員をしていた永田方正は「村中の生徒は富士の山は日本第一の名山高岳なると教ゆるに日本とは何地なるを知らず」と述懐している。

4.聖公会によるアイヌ教育
 開拓使によるアイヌ教育が始まったのとほぼ同時期に、キリスト教伝道者によるアイヌ教育活動も行われていた。これらの学校は行政によって作られた学校と違い、ローマ字を介してアイヌ語による授業を行い、聖書を教えていた。また、授業料、学用品は学校側が用意していた。これら私立のアイヌ学校はアイヌ側からすると、行政の立てた学校よりも好まれ、たとえば、白糠において、官立の学校には1897年すでにアイヌ生徒がいなくなったにもかかわらず、聖公会のアイヌ学校には27名の生徒が在籍していた。

5.アイヌの窮乏化
 北海道開拓政策は1888・89年にかけて、これまで開拓の進行が遅れていた、石狩川上流部、天塩川流域、十勝平野の各地で殖民地撰定を行い、1888年に制定された「北海道土地払下規約」 に基づき、大規模な土地の払い下げを行った。また1897年に同法に変わって制定された「北海道国有地未開拓地処分法」 においても20万町歩が払い下げられた。この時期までにアイヌ生活圏のほとんど全ての地域に開拓の手が伸びていた。これらの払い下げによってアイヌの共有財産であった土地の大部分が官有地とされ払い下げてしまった。そして1883年にはサケ漁の禁止、1889年にはアイヌ食料分として許可されていた鹿猟が禁止されこれまでのアイヌの生活は困難を極めるようになってきた。
 このような状況のなかでアイヌ困窮化が国内で一定の認識がされるようになった。そのためアイヌ「保護」論の高まりが興り、アイヌへの土地の下付や救助、教育、共有財産管理などを定めた「旧土人保護法」が制定された。同法制定並行して今後のアイヌ教育の方針を「旧土人児童教育規定」として作成し、1901年に定めた。
 この規約においては和人とアイヌの別学が徹底すべき だとされており、就業年齢は7歳を標準とし、修業年数は4年とされていた。 そして、新たにアイヌのための特設小学校を21校設置することを決めた。これらの小学校において授業は全て日本語で行われ、国語、算術、修身、農業(男子)、裁縫(女子)などがあり、内容は卑近で生活に必須な程度の簡易なものの教授が要請された。
 
6.教育実態
旧土人児童教育規定によって作られた学校での学習状況はどのようなものであったのだろうか。1920年代に平取の二風谷学校に通っていた貝沢正によると、

「学校では始業・終業の時間も一定せず時間割などありません。(中略)教科の内容も読み方と習字だけ、先生が登校してきた時には何年は自習、何年は習字と、その場その場の授業でした。三年になり算術の教科書を買いましたが、半分も進まず卒業。高等小学校で一番困ったのは算数でした。五年生で地理、歴史、理科は教科書が与えられただけで、習わずに終わりました。」

と回想している。また、1910年台に白糠第二小学校に通っていた貫塩喜蔵は、

「(教員は)課題を板書しておいて、学校続きの自宅に戻っていることが多かった。教師のいない教室は、コマ遊び場となり、学習にならない日が多かった。」

と回想している。アイヌ教育に対して熱心な教員が一部でいた 一方で、このように倦怠した教員が少なくなく、いいかげんな授業を行っていたところも多かったようである。また、学校の中でもアイヌは差別される存在としてみなされており、出席簿を読み上げる時は和人の子どもからであったり、教員が和人の子どもに対して「お前たちはもっと勉強しなければ駄目だ。アイヌにまで負けているではないか。」 とアイヌを劣っている存在とみなしていた。

7.「旧土人児童教育規定」の廃止
 1910年以降、アイヌ自身によるアイヌ教育批判が出てきた。特に、特設アイヌ学校に象徴されるような「別学」制度と、「旧土人児童教育規定」における教育方針である「簡易」な教授課程への批判が集中した。また、この時期、アイヌ児童の就学率も90%を越えアイヌ語の破壊と日本語の普及が急速に進んでいった。別学となっていたアイヌの特設小学校は1919年から1922年にかけて21校あったうち、8校を順次廃校にし、公立にするか、近くの公立小学校と統合した。 これらは、アイヌ児童の減少が理由とされた。また、1922年には「旧土人児童教育規定」が廃止され、和人と同様に就学年齢が6歳からとなり、修業年限も和人同様6年となり、教科目にも日本歴史、理科などが加わった。同時に道庁は混合教育を徹底する方針を採るこことなった。これら一連の流れにより、制度上は和人とアイヌの差は基本的に解消した。しかし、差別が解消されたわけではなかった。1929年河西支庁(現、十勝支庁)の調査では和人の小学校に就学しているアイヌ児童は人類的偏見の著しい影響を受けて欠席率が3割から4割程度いると報告している。アイヌ別学の特設小学校において平均出席率が87.6%であったことから考えて、かなりの開きができている。

8.おわりに
「学校に行けるようになった!」といえば、これまで勉強できなかったが今度からは学校で勉強できるようになる。とプラスに捉えられることが多いと感じていた。しかし、アイヌの人にとって学校とはどのような場所であったのだろうか。学校では日本語が強制され、修身をはじめとする臣民として、“日本人”としての教育が行われていた。それらは翻せば、アイヌ語、アイヌ文化の否定であった。今まで生活の基盤としていた言葉が奪われ、文化が奪われたアイヌにとって“同化”を進める学校は民族を否定するような場であったように思われる。これまで学校教育を受けていなかった人々に教育の場を提供するいう名のもと”同化”政策が行われたことは政策をする方からすれば大義である。しかし、実際に教育を受けるアイヌ当事者からみると、果たして学校は必要だったのか非常に疑問に感じた。
 また、アイヌの“同化”政策は制度上のもので留まり、社会的において和人とアイヌが平等であるような”同化“に至ることは国としての目標ではなかったのではないかと感じた。日本人ではあるがその中で最下層の位置への”同化“。を進めている。このような政策方針が今のアイヌ差別の根底にあるように感じた。



参考文献
・世界人権宣言中央実行委員会 『人権白書』 1984 解放出版社
・高倉新一郎 『新版 アイヌ政策史』 1972 三一書房
・札幌学院大学人文科学編 『北海道と少数民族』 1987 札幌学院大学人文科学学会
・貝澤正 『アイヌ わが人生』 1993 岩波書店
・小川正人 『近代アイヌ教育制度史研究』 19997 北海道大学図書館刊行会
・小川正人 『「アイヌ学校」の設置と「北海道旧土人保護法」・「旧土人児童教育規定』 1991 北海道大学教育学部紀要55号
・『アイヌ教育史―教育史学会コロキウム「アイヌ教育史」の記録―』1988 北海道大学教育学部紀要51号
・萱野茂 『アイヌの碑』 1985 朝日新聞
・萱野茂『アイヌ歳時記』 2000 平凡社
・松本成実 秋間達男 舘忠良『コタンに生きる アイヌ民衆の歴史と教育』 1977 徳間書店
・北海道教育委員会 『アイヌ民族に関する指導の手引き』1992 北海道教育庁生涯学習部学校教育課

参考HP
・財団法人アイヌ民族博物館http://www.ainu-museum.or.jp/index.html(2006/05/10)
・北海道ウタリ協会http://www.ainu-assn.or.jp/index.html(2006/05/10)
・北海道環境生活部総務課アイヌ施策推進グループhttp://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/indextop.html(2006/05/10)
・北海道ウタリ生活実態調査報告書http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/jittai11.html
(2006/05/12)
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by iigaiya | 2006-05-23 01:01 | どうでもいいがいや


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